2011年06月30日

日本人に救いを伝える


     マルコ16:15

 私たちに与えられた、最も大切な働きは、全世界に出て行って福音を伝えることです。福音は信じる人に永遠の命を与えます。永遠の命を与える働きに参加できるのは、なんという名誉、なんと言う光栄でしょう。これより優れた働きはありません。

 日本は今年で宣教150年を迎えたといわれていますが、永遠の命を得た人たち、福音を信じることができた人の数は、とても少ないといわれています。世界中の国々で非常に多くの人々が福音を信じているのに、日本では本当に僅かです。

 その日本で、私たちは福音を語り続けます。一人でも多くの日本人が福音を聞き、信じることができるためです。キリストは、日本人のためにも十字架にかかってくださったのです。ただ私たちは、いままでの福音の語り方を、ただくり返すだけではならないことを知っています。今までの遣り方では、福音を信じることができる日本人は、多くなり得ないのです。


T.神さまについて語る   

 今までの福音伝道では、いつも始めから、イエス・キリストとその働きについて語り、何とか、聞く人が自分の罪に気付き、悔い改めてイエス・キリストを信じるようにと遣ってきました。ところがそれは、あまりにも難しいことでした。ふつうの信徒や牧師には、とても歯が立たないほど高度な、聖書と神学の知識と、忍耐深い取り組みが要求されたのです。

 それで、いま勧められるのはイエス・キリストについて語るのではなく、神さまについて語ることです。イエス・キリストでは、日本人の多く、特に保守的な文化に住む日本人は、外国の宗教家と判断して、はじめから違和感と警戒をもってしまいます。

 ところが神さまならば、もともと日本の言葉であり、ごく自然に話を聞いてもらえます。違和感や警戒が少ないのです。日本人は昔から神様を信じてきました。口では神さまを否定しても、心では信じてきました。日本人も、心の底で神さまを感じているのです。人間はみな、神さまに似せて造られ、神さまを感じるように造られているからです。

 ですから、日本人に神さまのお話をするとき、理屈で話してはなりません。日本人の多くは、理屈では、神さまを信じないと言いたいのです。むしろ情緒的に、感覚的に、心に感じる神さまをお話しするのです。


U.日本人が信じてきた神さまについて語る   

 私たちがお話しする神さまは、外国の神さまではありません。外国から輸入した神さまではありません。むしろ、昔から、神代の前から、天地創造この方、ずっと日本にいて、日本を祝福し続けてくださった神さまについて語るのです。異教の地アテネで、パウロは、イスラエルから連れてきた神さまについて語ったのではありません。アテネの人々が、昔から信じてきた神について語りました。
 

 パウロは、出来るだけ反感や違和感を持たせない方法で、語り始めました。また、もっとも理解しやすい話し方をしたのです。
 
 日本人は八百万の神々を信じているといわれますが、本当はそれらの神々とは別の、それらの背後におられる大きな一人の神さまを信じているのです。多神教徒言われながら、強い一神教的感覚を持っているのです。神の存在を否定する多くの日本人は、八百万の神々は愚かと否定しますが、心の中にぼんやりと持っている一神教的感覚は、大切に持ち続け、宗教を大切にしているのです。ですから、この神から話し始めるのです。


V.恵みに満ちた神を語る  

 日本人は恵みあふれた神さまを感じてきました。太陽を昇らせ雨を降らせ、森に林に草木を茂らせ、穀物を稔らせ、動物を育て、魚を満たしてくださる神さまを、心の奥深くで感じて感謝してきました。その神さまが、わたしたちも拝んでいることを教えてあげるのです。

 ただ日本人は、その神さまを心の奥底でぼんやりと感じているだけで、はっきりと知ってはいません。そこで私たちは、その同じ神さまのことを、聖書によってもう少し詳しくお話しするのです。単に恵みにあふれた神さまというだけではなく、天地をお造りになった神さまであることを伝え、日本だけではなく、全世界の神さまであることを伝え、私たちに命を与え、生かしていてくださる神さまであることを教えてあげるのです。

 その上、わたしたちを愛し、私たちに永遠の命を下さるために、イエス・キリストというお方を送ってくださったことを、お話しするのです。イエスさまについてお話しするのは、それからでもおそくはありません。まず、神さまについて語りましょう。








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2011年06月29日

すべての慰めの神


     Uコリント1:3−5

 人生には苦しみや悲しみがつきものです。しばしば泣き言をいい、弱音を吐きたくなります。人生そのものを投げ出したくなることさえあるものです。それについて、人々はいろいろな対処法を試してきました。

 仏教では、精神を整えさえすれば苦しみを苦しみと感じなくなると教え、修行によって精神統一を図ろうとします。「心頭滅却すれば火もまた涼し」です。

 そんな高尚なことが出来ない多くの凡人は、酒を飲んで憂さを晴らし、暴れては自分を忘れ、快楽に身を沈めては苦痛から逃れようとします。ところがクリスチャンは、神様の下に逃げ込みます。私たちの神は慰めの神様だからです。


T.私たちに溢れるのはキリストの苦難  

 私たちが遭遇する苦難には、ずいぶん色々な種類があります。自分の間違いや失敗のために起こってきた、自業自得とも言えそうなものがあります。正しく生きようとし、正義を貫こうとしたために降りかかってくる困難や痛みもあります。自然災害やどうしょうもないいきさつから派生する苦痛もあります。あるいは他の人を助けようとする困難や、神様に仕えようとするときに起こる辛いことも、たくさんあります。

 ただ、それらがたとえいかなる苦しみであろうとも、自分がキリストの大使として、この世界に遣わされているという事実を、しっかりと確認して生きていると、それは、キリストの苦難なのです。すなわち人々の救いのために、あえて苦難の道を歩まれたキリストの弟子として、自分も人々の救いのためにこの世に遣わされ、キリストと同じ痛みを負っていると理解すべきなのです。

 私たちはすでに天のみ国をいただき、自分のものとしています。私たちは天のみ国の国民です。ところがいま苦しんでいるのは、み国から罪の世界に遣わされているキリストの大使だからなのです。
 
 人々の救いのためにこの世に遣わされ、ご自分の痛みと苦難を通して救いの道を開いてくださったキリストは、私たちが遭遇するあらゆる困難と痛みを自ら体験し、良く理解してくださっているのです。そして私たちが担いきれないほどの、苦難を背負わせるようなことはなさらないのです。


U.慰めの神から受ける私たちの慰め  

 私たちが受ける神様の慰めは、問題ごと、痛みごとに神様から「よしよし」と慰められるような慰めではないと思います。むしろ、慰めはいつでも豊かに満ち溢れているのです。私たちがそれを感じさえすれば、慰めは大海のように豊かなのです。私たちの霊的感覚が鈍く、日常の中であまり感じていないために、事あるごとに神様にすがりつき、泣きつかなければならないのです。私たちの霊的感覚を鋭くして、いつも慰めを感じながら生きていることが肝要です。

 まず私たちは、どんなに大きな愛に包まれているかをいつも思い起こしていましょう。愛されているということは、なかなか感じられないものです。愛されていることを、いつも思い起こし、確認しなおすことが大切なのです。神様が私たちをご自分の愛の対象としてお造り下さったことを、いつも感謝し、神様を愛しながら、というよりお慕いしながら生活することです。

 また、罪のために神様を離れ、滅びを運命として生きていた私たちを救い出すために、神様がどんなに大きな事をしてくださったか、み子キリストがどんなに傷つき苦しみ痛んでくださったかを、思い出すことです。天地の創造者から愛されていること、受け入れられていることを、ひしひしと感じるより、大きな慰めはありません。


V.どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができる  

 私たちは、自分が苦しみ、神の慰めによって生きることによって、どのような苦しみの中にいる人をも、慰めることが出来るようになるのです。私たちが苦しみと慰めを体験していると、私たちの語る慰めの言葉、私たちのする励ましの行為が、単なる言葉や行為ではなく、強い力を伴ったものとなるのです。

 それはまた、単に私たちが慰めとなるのではなく、私たちが神様の慰めの器となることです。私たちがキリストの苦しみを思い起こし慰められるように、多くの人たちは、痛みを体験してきた私たち、苦しみの中を通ってきた私たちの姿と言葉によって慰めを受け、神様の慰めを感じるのです。
 
 私たちの英語部を6年間指導してくださったG先生は、自分の弱さと愚かさのために、多くの苦しみを体験してきました。16歳になるまでは、教会に通うまじめな少年だったのですが、悪友たちにそそのかされて教会を離れ、神様にも反抗し、50歳近くなるまでとんでもない生活をし続けました。早くに結婚して何人もの子どもを持ちながら、家族を省みずに離婚し、酒におぼれ、すっかり身を持ち崩してしまったのです。離婚された女性もまた身を滅ぼし、子どもたちはみなアルコール中毒をはじめ、禄でもない生活をするようになり、孫たちまでも惨めなことになってしまいました。

 でも、そのような「自業自得の体験」さえ、神の慰めの器となるように、用いられるようにされたのです。罪に振り回された自分の惨めさに気づいたG 先生は、50歳近くになって悔い改め、再びクリスチャンとしての歩みを始めました。神は彼を哀れみ、素敵な奥様も与えて立ち直らせ、宣教師として日本に送ってくださったのです。G先生はとても厳しい先生でした。でもその何倍も優しい先生でした。人の弱さ、悲しさ、苦しみに寄り添って、一緒に涙を流すことができる人でした。信徒がどんなに失敗しても、見捨てない人でした。人種や学歴や、職業やランク、その他どのような条件でも差別をすることはありませんでした。とても多くの人たちが、G先生に助けられたのです。

 わたしは多くのアメリカ人を知っていますが、彼ほどの人物に会ったことはありません。彼の失敗の人生が、神様に用いられるようになったのです。



















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2011年06月28日

神に似せて造られたわけ


      創世記1:26〜27
 
 私たちは唯一、神様の姿に似せて造られた動物です。人間だけが神様に似せて造られた理由、あるいは目的はなんでしょう。そのことに対して、聖書は、直接には何も語っていません。でも、聖書を愛読していくと、そのあたりのことがだんだん分かってきます。


1. 意識を持って神様をたたえるため 
 
 すべての被造物は神様をたたえています。太陽も月も星も、地上のあらゆる物が、みな神をほめたたえています。すべてのものが神の栄光を現しているのです。ところが、それらすべてのものは意識を持って神様をたたえることはありません。

 人間はこの第三次元に存在するものとして造られた中では、唯一異なった次元に属するものを持つのです。それが神様に似せて造られたということ、すなわち、霊的な性質を持つということです。

 神様は霊的な方です。神様の本質は霊です。物質を超え、物質にとらわれない方です。人間も、この霊の性質を与えられているために、一方では肉体を持って第三次元に生きながら、神様と同じ次元にも生きることができる存在なのです。

 そのために犬や猫は人間に良く似た命を持っていながら、霊的な性質を持っておらず、神様を感じたり理解したりすることができず、ほめたたえることもできません。彼らは動物的な命は持っていますが、神に似せて造られた命は持っておらず、意識して神様をたたえることはないのです。

 神様をたたえることが出来るというならば、天使たちにもそれが出来ます。しかし、彼らには肉体があたえられておらず、この第三次元に生きる存在ではありません。神様は人間を第三次元に生きる存在としてお造りになり、第三次元の世界で、唯一神様をたたえる存在なのです。

 肉体という物質と一体化され、肉体をもって食べ、働き、生き、神様を賛美するように造られているのです。人間には永遠の命が与えられていますが、天使のような肉体を持たない命ではなく、あくまでも肉体を持った永遠の命なのです。


2. 神様に感謝して生きるため 

 神様を意識できるのは人間だけですから、神様に意識を持って感謝をすることができるのも、人間だけです。聖書は、意識を持たない被造物も神様をたたえていると語っていますが、神様に感謝するとは言っていません。感謝するというのは、自分が誰か、自分にどんなことが起こったかを理解できなければなりません。またそれが誰の手によって起こされたかを知って、応答することです。

 日本人は感謝にあふれた人間だと思います。日本人の宗教心は、恐れの表現や願いの表現より、基本的に、まず感謝の表現だと思います。自分が生まれてきたこと、生かされていること、衣食住が与えられていることなどを感謝する気持ちが第一です。とても美しいことです。

 でも、問題は、だれに感謝するのかです。誰か分からない方に、感謝しているのでは不充分です。やはり感謝するべきお方をはっきりさせて、「○○様」と呼びかけて感謝できることが大切です。ほめたたえることは、神様が神様であるゆえにほめたたえるのです。その素晴らしさをたたえるのです。たとえ自分が存在しなくても、神様はたたえられるべきお方です。

 ところが感謝は、感謝する自分を意識して、自分との関係で神様を意識することです。神様が自分のために、どんなにすばらしいことをしてくださったかを思い起こし、たくさん感謝を捧げましょう。


3. 神様と交わりを持つため  

 人間が神様に似せて造られたもう一つの大切な理由は、神様と交わりを持つことです。賛美も感謝も交わりの表現ではありますが、まったく交わりを持たないまま、ほめ、感謝をすることも出来ます。

 しかし、神様は愛の神であり、愛の表現として人間をお造りになったと考えられます。神様に似た性質を持つ人間に与えられた役割は、神様の愛にお応えすることです。

 罪を犯す前の人間は、ただ神様が与えてくださった素晴らしい環境の中で、おおらかに喜んで生き、神様がおっしゃたように生きるだけでした。ところが、人間が罪を犯してしまってからは、神様の聖さが人間の罪を激しく拒絶して、交わりの障害になってしまったのです。

 しかし、その交わりを回復するために、そして、人間が罪に打ち勝って生きることができるように、神様はあらゆる手立てを準備し、実行してくださいました。いま私たち人間に出来ることは、神様が準備してくださったこの救いを感謝し、神様のお教えに従って生きることです。

 それによって、人間は神様との交わりを回復して、人間にだけ与えられている、人間としての満足、充足感を、味わうことが出来るのです。神様との交わりは、なににつけも神様を想い、神様を賛美し、神様に感謝を捧げ、神様に信頼しながら、祈りの人生を送ることです。そうすると、神様は私たちにあらゆる良いものをもって、答えてくださるのです。









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